袖ふり合うも多次元の縁

 四次元についてふと思いつくことがあったから、いずれ読む人があれば拙い発想に肉付けしてくれるかもしれないし、ここに書いておく。

つづく

からからのチーズ

自分の中に、自分の感覚の歴史がMacのタイムマシンのようにずらっと仕舞われていて、何かを見たとき「あ、これは十年前の感覚で再現できる」と思ったら、その何かはもう自分にとって過ぎ去ってしまった遺物だということ。

もちろんそこで懐古趣味に興じてもいいけど、たいていはテーブルの上で乾涸びたチーズを転がすように、ただ、そのように眺めるだけだ。

つづく

格言の一家言

あなたが、ある格言を見たとき。

つづく

遠き山に色満ちて

ゴーヤチャンプルを食べた帰りに、立ち並ぶビル群の向こう、深緑にむせかえる遠山を見ながらふと「絵の90%はデフォルメだ」と考えた。

つづく

スノーモービルは帰らない

 いつ聞いても感動するというか、たぶん何よりも心を揺さぶられる声、それが元ちとせの声なんだけど、久々にまた昔の曲を聴いてみたら、やっぱり言い知れぬ感動が、僕の心肺を締め上げた。

つづく

私VS隣人

 よそで「ペットを飼う責任とは何なのか?」ということについて書いたとき、考えを煮詰めるために書いた架空の会話を転載する。

つづく

墨学

息を呑む。
無意味と無秩序の中に、
何かが起こっているという錯覚。

つづく