土気色のヴィーナス

 私は考えている。この卵を割ったら何が出てくるのか。

 私はたまごごはんが食べたいのだ。さっきそう思いついた。また今日も海苔の佃煮を前にして諦観此処に極まれりというところに、脳裏を転がったナポレオンの生卵。あと七つも残っている。縁起も良さそうだ。

 アツアツの、茶碗に軽く盛った白飯のまんなかを、わずかにへこませて、冷たい生卵をキンと割って落とす。黄身と白身が全体に斑を描くように、少しだけ混ぜる。色が混ざってはいけない。泡立ててはいけない。濃厚な黄身の色はそのままに残し、白身でつややかに守られた米粒の間をさっくりと流れさせる。ほどよく流れたかというところで、醤油をたっぷりかける。多少塩辛くなっても構わない。そのときは醤油の塩辛さと、底に手つかずの甘い黄身と白飯を、交互に、ときに同時に味わい、めくるめく味の奔流に舌をまかせてみる。残り三分の一くらいになったら、一気に搔き込み口いっぱいに頬張る。しかし慌ててはいけない。ここでは目一杯頬張る動作を見せて、自己の食欲中枢をペテンにかけたあとで、やや控えめに頬張る。頬張りすぎては折角の味がおぼろになる。舌は喉の奥へと巻き込まれ、味覚が満足に働かない。そこで口八分目くらいに頬張って、量と質のぎりぎりのせめぎ合いを楽しむ。最後は米一粒残らず平らげる。箸を茶碗に横たえ、景気よく手を叩き、ごちそうさまと言って、立ち上がる。

 私は胸の動悸を抑えられずにいる。私は知らない。この生卵を割ったら、何があらわれ、何を私にもたらすのか。私は痩せた頬骨をこわばらせ、未だ嘗て味わったことのない律動に打たれながら、この薄い殻の中に隠されたものを、その姿を、その秘密を、何も知り得ずにいるのだ。

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