神のまにまに

 驚いた。最初見たときは、妙な雨だな、と思った。けれどすぐにわかった。わかった上で、何なのかわからないのだが、今朝起きて、やけに寒かったのは、このせいだったのか、とふと思った。寒さのせいで、ではなく、きっと寒さが犬のように従ってきたのだ、と思った。理解を超えた現象に対する、変に捨て鉢な確信があった。季節が風物に呼び出されたのだ。日本の季節には、どこかそういう嫌らしさがある。私は公園のベンチに座って、その奇妙な光景を見ながら、そんなことを考えていた。

 その日、東京はどこまでも抜けるような晴天で、真冬並の寒波とともに、どこからかやって来たヤリイカの大群が、どういうわけか空中に泳ぎ出し、止まった時間に漂うように、青い空を斜めに覆っていた。ときどき低く降りてきては、ビルの谷間を縫って、行き交う車のすれすれに、白く透き通った身体を尖らせて、雨のように注いでいた。慌てふためき建物に逃げ込む人々。思い思いの漁網を空に投げ、捕まえようと飛び跳ねる人々。ただただ呆然として、立ちすくみ空を仰ぐ人々。イカは静かに、遠くから見るとまるで止まったかのように、春の大気を遊泳していった。太古の星霜を忘れ、地に根ざして久しい人々にとって、それはどこか不思議に懐かしい光景だったかもしれない。

 数時間ののち、太陽が山の端に懸かるころ、イカの群飛は現れたときと同じようにして、いつの間にか消えていた。人々はまたそれぞれの日常に戻っていった。私はどこか夢見心地で、ずっと公園に座っていた。街が元の落ち着きを取り戻した中で、寒さだけは変わらず、季節外れの雄叫びをあげていた。

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