90度の隣人

 目をつぶっていたせいで、自分が影になっていたことにも気がつかなかった。
 鉄板を重ねたような冷たい構造、上から下に、その無機質を眺めていって、少し視線を落としたところに、ぶっきらぼうに立ちすくむ僕の姿があった。なんだ、冷たいと思ったのは石のホームだった。冷え込んだ夜のプラットホームで、僕は電車を待っているのだ。
 影の眺めというのはめまぐるしい。世界が上から下に、あるいは下から上に、もしかすると右から左に流れていくので、まるでどうどうと落ちる滝の流れに直面しているような気分だ。幸いその時は夜も遅かったので、黒い夜空の球心をぼんやりと見遣っていればそれで済んだ。
 駅を出た僕は、自宅へと向かう坂道を半ばまで登ると、脇道へと折れた。ははあ、さては晩飯を買いに行くんだな。今夜は何を食べようか。と思ったが、自分が影であることに思い至って、この場合食事はどうなるんだろう、まさか犬に餌をやるみたいに影におこぼれが回ってくることはあるのかな、でも今まで影に飯を分けたなんて覚えはないぞ、と、薄っぺらの腹がなお薄くなってグウと鳴った。
 食事が終わると、僕はテレビを消して、パソコンに向かった。カップラーメンはなかなか美味かった。箸も触ってないのに飯を食った気分になるのはなんだか妙な感じだが、これはこれで慣れたらなかなか楽でいいかもしれないと思った。さてお腹もふくれて、ゆうゆうと横になって自分の姿を眺めた。もっとも、横になっているのは影になってから相変わらずのことだが。
 僕は噛みつかんばかりにパソコンに顔を近づけて、何やらキーボードをせっせと叩いていた。そういえばブログに書きたいネタがいくつか溜まっていたな。うまいこと書いていてくれたらいいんだが。それにしても背中が曲がっている。あれだけ猫背になって、かえって疲れはしまいか。などと考えながら、時々あくびをする僕を眺めていると、どういうわけか、何かをやり遂げた後のような不思議な安らぎと、一種の諦めにも似た感覚がふんわりと混ぜ合わさったようなへんてこな気分になる。パソコンの画面は、この角度からはちょうど見えない。実際見えたからと言って、何が映っているかしれたものではない。しかしこうして見ると、何もしゃべらずあくせくと動いている自分が、何だかウサギとか池の鯉とか、そんな生き物と大差ないように思えてくる。いや、言葉をしゃべっていたって同じかもしれない。同じように、何を見ても僕にとってはひとごとなのかもしれない。そうでもない。ひとごとでもない。僕は影で、影は僕しかいない。
 僕は音楽をつけた。iTunesでそのままパソコンのスピーカーから聞くのがここ最近のもっぱらだ。音質なんて、気にする時しか気にしない。ほらそれでまた悲しい曲。眠くなってくる。あーあ、横になっているせいで、眠くなったらすぐ寝れる。今度このことをブログに書いてやろう。それにしても、掃除を全然やっていないせいで、埃っぽくて喉がカラカラだ。何か、僕、飲み物を買いに行ってはくれまいか…

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