20072.1
最近、というかここ半年くらい、しょっちゅう全力疾走している。
それはもう、嫌でも応でも走らなければならないスケジューリングが、私の生活の中に組み込まれているからだ。鞭打って鞭打って走る。Sの私は大満足。いかんどうも話が逸れる。眠さのせいだ。
疾走しながら考える。メロス。考えるメロス。地獄のことを。メロスと考える人がごっちゃになっている。ま、もちろんそんなことはどうでもよくて、走りながら、どうにかして楽に走る方法はないか。疲れにくい走り方はないか。と考える。
位置エネルギーという理屈を知った若き日、じゃー階段をどんな下り方してもエネルギーは変わんねーのか、ピストルを持った柴田恭兵のように小刻みに下りても、一番上からジャンプしても、いっしょなのかい先生、と思った記憶がある。
あまり関係はないかも知れないけど、同じ経路、同じ時間でA点からB点に行くのに、エネルギーをたくさん使ったり、少しに抑えたりすることが可能か。
もちろん答えは可能なのだろうが、それは極論すれば黙々と走るのと歌いながら走るのとではエネルギー消費が(たぶん)違うことからも想像がつく。
ではどのように走ればなるべく少ないエネルギーで、あるいは少ない疲労で走ることができるのか。それを考える上で最もよい参考になるのが恐らくマラソン選手で、あの人たちに倣えば最も効率的な走りが可能となるはず。
とは言え重要なのはマラソンランナーの走りを模倣して理想的な走りを会得することではなく、日々走りながら考えて、身を以て味わいながら、最終的にマラソンランナーの走り方に自然と近づくことだ。
あれ?
5行くらいで終わらせる話のつもりだったのに、いつの間にかこんなにダラダラと。
トドのつまり、言いたいのはやはり、同じ経路同じ時間で、エネルギー消費に差のある走り方というのが存在するということは、なんとも不思議なもんだと思うわけで、そう思いながら、今日も寒風の大都会を疾駆していました。
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