夢のまた夢のうつつ

現実だ!
これは現実だ…
夢だったらいいのにーーー
でも夢じゃねーんだよな…
現実なんだーー

と夢の中で思う。昔っから、何度も何度も数知れずそう思ったことがある。
不思議だ。夢の中の現実感と、現実の現実感を、天秤にかけてもだいたい釣り合うように見える。現実から見れば夢の現実感は確かに、モヤモヤとして海の底のような非現実感だが、夢の中では紛れもなくこの現実の現実感と同じものを感じている。だからこそ夢を夢だと見破れない。見破れるときももちろんある。それも、人より見破ってる自信もあるけど、やはり大半は見破れない。

例えば、現実の現実感に関して言えば、過去から脈々と続いてきた人生を振り返り、その延長としての現在を俯瞰した上での現実の規定ができる。夢の中には、なぜか断片としての(ストーリー要素としての)過去しか存在しない。
または、こうして、夢と現実に関する考察をする余裕もない。夢の中で夢と現実とに思いを巡らすとき、それは「夢か現実か」という単純な二項対立を浮かべているに過ぎない。
他にもいろいろ、夢と現実の違いはあると思う。でも、こっち側の現実において、あっち側の現実感を全て隈無く吟味するのは到底無理な話だ。それは過去の体験を100%追体験するのが不可能なのと同じようなもんかな。
でもそう言ってしまうと、今度は過去と夢との境界をどこに引くのかという問題が出てくる?

いかん! よくわからんくなってきた。ていうか最初からわからんままスタートした。そして眠い。
せっかく教室を模したブログだから、あとはみんなで考えるなり話すなり任せよう。言いたかったのは、とりあえず不思議だなーということ。不思議なことに、今これを書いている現実は、夢ではなく、確かに現実だと言い切れる。確証はどこにもない。でも言い切れる。それが不思議。

キーワードとして、「ストーリー」というのが重要かも。でも厄介なのは、見た夢にしろ現実にしろ、過去の出来事はおしなべてストーリー化してしまっていて、現実は次々とほどけていくセーターのようなもので、どんどんストーリーという毛糸が伸びていくのを止められない。見た夢も過去の現実もすべて一本の糸に集約されながら伸びる。その話もまたしたいな。みんなで。
全然未解決のままだけど、ここで話オワーリー! すまん。

ちなみに誰か、夢の中では速く走れないってことある?
僕は昔からそれがムカツいてて、長年に渡っていろいろ夢の中で試行錯誤をした結果、最近は飛ぶように速く走れるようになりました。ていうか飛ぶ。実際に。すごいよ。

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