芸は身をあらわす

あんまり大層なことを書くと、のちのち読んだときに恥ずかしいもんですし、大層な言葉を使うと、ツルツルと指の隙間から逃げていくので、ビミョウなんだけど、ちょっと書いときます。

芸術鑑賞について。

1.作る自由度に観る自由度
2.ぜったい相対価値
3.展覧会という機会
4.人間だもの

まず1は、もう大前提として当たり前だと思ってるけど、作る人が好き勝手に作るのと同じくらい、鑑賞する人も好き勝手に鑑賞すればいいという話。

2も似たような感じで、絶対に相対価値だ、という感じ。別に絶対←→相対の絶対じゃなくてね。だってそうでしょーーー観る人が決めていいんじゃない? そうよね。どんな有名な作品でも、何も感じなかったら、その人にとって、今のところその作品は何の価値も無し。これも当たり前か。
もしある作品に、どうにかして絶対評価をつけるとしたら、現在の世界の人口65億分の、何人の人がグッド!と言ったか。もちろん予備知識無しで。
まーでもそれも実際は難しくて、規模の困難はおいといて、どれだけの間その作品に接したかとかそういう他の要素も加味するとモー大変。

それをふまえて、3は、展覧会とかコンサートとかは、あくまでその作品に親しむための機会だということ。なんか、どうも周りを見てると、例えば現物至上主義みたいなとこがあって、もちろん現物は至上だけど、あれ、矛盾してるね、いや、ビバ展覧会みたいなノリがあって、展覧会に足を運んで鑑賞して「良かった!」みたいなとこがある。
だってさー、作る人は何ヶ月もかけて作ったかもしれないものに、そんな短時間で親しめるわけないっしょー。ということがあるわけです。だから、もし美術展にいったら、ポスターでもいいから気に入ったのを買ってきた方がいいと思う。で、毎日いっしょに暮らす。生演奏をCD で代用するのといっしょかな。

それで最後は4なんだが、いっつも話題になる(のは僕の周りだけ?)ことだけど、芸術のハンイってどこよ。
その返答として、とりあえず今んとこ、人間が作ったかそうでないか、という一線を引きました。ズバッと。息をして生きているわけで、絵を描いて生きているわけで、歌を歌って生きているわけで、物語を紡いで生きているわけです。当たり前です。息をして生きているわけです。ひと呼吸、ひと呼吸。

ああ、長くなった!
長々としゃべってしまった。でも明日になれば全く別の意見になってるかもしれないし、今度会ったときに、上に書いた話を出さないでね! 無責任ながら。ですけどね、書きたくなったんですよ、とりあえずこれは2007年1月22日午前1時頃の覚え書き。

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