昏睡文明 その4

 物理の問題。たった一つの物体の運動は単純である。しかしそれが二つになると途端に複雑さは跳ね上がる。では三つ以上だとどうか。陸橋の途中で立ち止まる。橋の向こうまでずっと点々と光っているのは、暗い足下に添えられた小さな光だ。橋の左右、交互に、それぞれ三、四メートルくらいの間隔で灯されている。よく見るとその灯りに、小さな黒い点々が照らし出されている。たくさん集まって、いくつかは動いている。ダンゴムシだ。こんな時間に光に集まってくるとは、知らなかった。昼にしか見たことがなかったが、夜行性なのだろうか。確かにダンゴムシなんて、昼間見てもいつ見ても、活動しているのかダラダラしているのか、わかったものじゃない。しゃがみこんで、歩いているのをつついてみると、くるりと丸まって、コロコロと転がっていく。陸橋の坂の途中だ、無理もない。戻ってくるのは何時間後だろうか。斜面を転がるいくつかのダンゴムシを考えてみる。考えるというか、実際目の前で転がっているので、観察してみる。ダンゴムシは堅い橋板の上をデコボコと転がって、板と板との溝にはまって止まる。仮に今、このダンゴムシに目玉という名前をつけて、その運動を考える。然るべき観察ののち考える、ということにしよう。地面は木目に沿ってデタラメに波打っていて、そこを転がるダンゴムシもまたデタラメな動きを示すだろう。転がってきた目玉は、歩いていた耳たぶにぶつかる。耳たぶというダンゴムシだ。耳たぶはぶつかったショックで進路を変える。もともと進路を変えようと思っていたのかもしれないが、もうぶつかってしまったのだから、そんな言い訳は通用しない。さあ、あっちへ行ってください。耳たぶが向きを変えたせいで、その先にいる鼻骨は立ち止まる。立ちすくむのかもしれない。この鼻骨というやつが、どうしようもないピーナッツ・ハートで、というのは、すぐに割れるってことなんだが、こいつはちょっと睨まれただけでもう動けない。百本の脚がガクガクしちゃって、だいたい百本くらいの脚が、言うことを聞かなくなって、ただもう神に祈るしかない。そういう事情があるのか知らないけど、鼻骨はそこで動きを止める。さて、現時点で三匹のダンゴムシが登場した。目玉はどこに行ったかというと、耳たぶにぶつかったあと、またコロコロと、例の溝まで行ってしまった。はまってしまった。ごくろうさま。つまり。たった今、真夜中の陸橋を歩いている。もう少し行くと海が見える。ダンゴムシなんて触らない。あんなもの気持ちが悪い。観察なんて言って、ほんとはやっぱり考えただけで、脳のデコボコを転がって、大脳縦裂にはまったわけだ。幸福の問題。例えば目玉の幸福が、耳たぶの幸福と、鼻骨の幸福を伴ったとして、そんな幸福を、いったい誰が味わっただろう。注意深く考えなければいけない。どれが本当で、どれが嘘なのかを。五感はどうだろうか。橋を渡って少し歩くと、港の光にボーッと映し出されて、音もない夜の海が現れる。

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