昏睡文明 その1

 起きているのか、眠っているのか、はっきりしない。シャワーを浴びて、浴槽の縁に座って、したたり落ちる水滴、それから渦巻く水蒸気の向こうに霞んだ壁を見つめる。どうやら心臓は動いていないらしい。そのくせ耳の下あたりがやたらと調子よく脈打っている。太鼓の音、号令、血管一号、血管二号と点呼をとっているようだ。一号、二号、三号、四号、五号、六号、でもそれはみな同じで、一本の血管がさみしさを紛らわすために、一人遊びをしているのだ。湯気の向こうに、ふやけてブヨブヨになったタイルがそれでも整然と並んでいる。焦点が定まらないせいか、タイルは網膜に並んだ細胞の網目模様のようであり、ジェット機から遙か地表を見下ろした、大きなコーン畑のようでもある。どちらにしても、手をのばせば、そこにはない。目の隅に、黒いシミがあらわれる。ギラギラと光って消える。ふかみどりの影を残して、視界のあちこちに、現れて、消える。粉々になった太陽が目に入ったみたいだ。目の感覚を麻痺させて、火傷を残して、蒸発していく。あるいはコロナになって飛び火する。チラチラとせわしなく活動する。眼球面を動き回る、早回しの黒点。そうしている内に、おもむろに全体が明るくなる。日に焼けた写真のような、そこにあるものすべてを問答無用に連れて行く、おそろしい光だ。世界が少しだけ天国側に傾いて、あらゆるものが白んでしまって、バランス感覚があやふやになって、めまいがして、意識が一瞬遠のいて、ハッとする。知らぬ間に立ち上がっている。くるくるとうねって、驚いた水蒸気がどこかに隠れてしまう。何もおかしなことはない。ドアを開け、タオルを取る。

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