蜘蛛女、蜘蛛男

「でも神父様、私はどうしても逃れられないのです。驚いたことに、私の頭には、あの時のそのままが、記憶が、私の頭の中に、どこか一画に正しくしまわれていて、ああ、神父様、驚いたことに、私の頭は、あの一場面の記憶に、私の知らない何かの香水をふりかけて、私のふとした時に、それを思い出させるのです。確かにそれは、私の頭の中に小部屋のように区分けされていて、他のいろんなにおい、花のにおい、焼きたてのパンのにおいと同じように、私の記憶のひとつひとつの、鍵を開けて、私にそれを思い出させようとするのです。神父様、それは私の家の中にあるのです。何度も、私がそこに近づくたびに、あのにおいが、私の手の届かないところで、私の忌まわしい扉を開けるのです。ああ、神父様、私が貴重なパンのひとかけらを、鼻に詰めて過ごしているのはそういう訳なのでございます……」

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